○■インディアンの言葉 (コレクション「知慧の手帖」) ■
2016-01-25


紀伊国屋から自然の言葉、禅の言葉、イスラムの言葉、ユダヤの言葉などと合わせて出版された「知慧の手帳」シリーズの一冊。



ミッシェル ピクマル (編集), 中沢 新一 (翻訳), エドワード・S. カーティス(写真)
単行本: 46ページ
出版社: 紀伊國屋書店 (1996/09)

■商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
樹々と語り合い大地に抱かれる崇高にして深遠なインディアンの哲学。

内容(「MARC」データベースより)
いのちとは何か。それは夜を照らす蛍のきらめき。凍てつく冬の空気に野牛の吐く吐息。草の上に落ち着かない姿を映しながら日没とともに消えていく、ちっぽけな影…。樹々と語り合い大地に抱かれるインディアンの哲学。

■訳者からの言葉(冒頭部分)
この本に収録されたインディアンの言葉は、どれも悲痛な響きをはらんでいる。19世紀の中頃、西欧の産業革命の発達の影響は、アメリカ大陸にも波及し、白人による「西部開拓」は、それまでの時代とはちがった、むごい暴力性を、おびはじめたのである。「開拓者」たちにとっては、土地はそれだけでもう投資の対象であり、大地はそこからエネルギーと資源を絞り出すための、ただの物質とみなされた。
しかし、その大地の上には、すでにこの大陸の先住者たるインディアンが数万年の歴史を、刻んでいたのである。インディアンにとっては、あらゆる自然が宇宙そのものであり、それはモノでも、対象でも、素材でもなかった。彼らにとっては、人間と自然をともども巻き込みながら、ダイナミックな全体運動を続けている、崇高な宇宙的力の実在を、日々の生活の中で感じ取っていられることが、人間にとって、一番大切な倫理の厳選だと、考えられていた。大地を売り買いすることなどもってのほかだったし、宇宙の全体運動の中にあるものの一部分を、それだけ切り離して、言葉や計算によって操作したり、支配したりする、西欧的なものの考え方を、どうしても認めることはできなかった。

■書評
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