○■覚醒する心体―こころの自然/からだの自然■
2016-10-29


  その頃は、気功などやってみようとはまったく思っていない自分がいた。「心理療法は心の問題だから、体を使うことは関係がない」と素朴にそう思っていたのだ。素朴に心身二元論を生きていたのだと思う。もちろんその頃から身体論のたぐいを読んでもいたし、市川浩の『精神としての身体』は結構、興味をもって読んでいた。また、高校生の頃から、義兄がしている合気道を教えてもらったりしていて、そういう点での「気」には関心をもっていた。にもかかわらず、心理臨床の実践とそれをめぐる思考のなかに、身体を通じて体験領域に上がってくる"気"はつながってはいなかったのだ。
  これはとても興味深いことだと思う。身体の問題は、それを考えることと、それを生きることではまったく異なる。身体を生き始めると、身体は心でもあり、心は身体でもあることが強く感じられるようになる。そうしていまでは「心理臨床を実践する者は、自分の身体との付き合いをもっと深めていくべきだ」と考えている。そういう点で、日本でオリジナルに生み出された「動作療法」という心理臨床活動が展開してきているのも、非常に重要なことだろうと思う。また、フォーカシングやプロセス指向心理学の展開も注目に値する。

■書評
気功を実践する臨床心理士が語る「覚醒」を通じて「どうにもならない」自分を主体的に生きる意味を探る。

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